日本国の専門学校・短期大学・大学・大学院に相当する米国の高等教育制度に関する解説 (発信日: 2007年3月14日)





1.米国の高等教育制度

 (1) 米国建国の歴史と時代背景

 (2) 米国の憲法と法律

 (3) 米国の連邦政府 教育省

 (4) 米国の高等教育機関に関する認定制度

 (5) グローバル・スタンダードとしての米国の高等教育機関

 (6) 米国の私立大学と公立大学

 (7) 米国のエリート教育 (指導者養成教育)

 (8) IOND University の役割


2.日米関係を含む現代史に関する重要な認識  

  「教育方針」の中に示されている歴史認識

  < 参考サイト >





1.米国の高等教育制度

(1) 米国建国の歴史と時代背景
 『聖書』の教えに反する行動をしてきたローマ・カトリック教会と同様、腐敗堕落した背信状態にある英国国教会の改革を求めたピューリタン(清教徒)たちは、英国国教会から加えられる弾圧を逃れ、1620年にメイフラワー号に乗って北米大陸へ集団移住した。 当時の西欧諸国民の感性からすれば、原住民のインディアンが暮らす「未開の地」にすぎなかった米国の歴史が、ここから始まる。 現在のハーバード大学の前身にあたる牧師養成学校のハーバード・カレッジが、マサチューセッツ州のボストン市郊外に1636年に創立されたが、ピューリタン(清教徒)のごときプロテスタンティズムを信仰する人々が、1642年に英国で始まった清教徒革命・名誉革命、1775年に米国で始まった独立戦争、1789年に仏国で起きたフランス革命など一連の市民革命の担い手であった。 プロテスタンティズムとは、ローマ・カトリック教会に対する「抗議者」を意味するが、1517年にドイツ人のマルティン・ルター (1483〜1546)が、自己の生誕地にあるローマ・カトリック教会の扉に「95箇条の提題」を掲げたことに始まる宗教改革運動であり、英国国教会を含む全カトリック教会の教理・ 典礼・ 組織・ 規則・ 慣習 を否定し、『聖書』の教えだけを信仰する新しい宗派を指す。 プロテスタンティズムは、ローマ・カトリック教会を否定する宗教改革運動のみに止まらず、ローマ・カトリック教会と国王が宗教・政治・法律・教育・経済を独占支配している封建体制に抗議し、信仰の自由や移動の自由など、人が生まれながらに有する自然権、即ち、基本的人権の保障される自由主義社会の実現を求めた政治運動をも推し進め、市民革命を担った。 市民革命とは、商業資本の成長に伴って台頭してきた新興貴族・商業資本家・富農らの『自由に商業取引できる新しい社会を作りたい』という経済的・精神的な欲求から生まれた社会変革運動であり、封建社会を打倒して、経済的な資本主義と政治的な民主主義に基づく近代社会をもたらした。 ・・・・・ 市民革命の歴史潮流の萌芽は、1400年代前半から始まった「大航海時代」にある。 ポルトガルとスペインは、大西洋航路とインド航路を開拓して、はるばると、アフリカ・インド・東南アジア・南北アメ リカ大陸へと進出し、そこから採れる金・銀・砂糖・穀物などを西欧諸国へ輸出する国際貿易を盛んにおこない、次々と植民地を広げていった。 英国では、1600年に貿易商人の組合である「東インド会社」が設立され、オランダでも、1602年に世界初の株式会社である、別の「東インド会社」が設立された。 日本の戦国時代末期の1543年、種子島に漂流したポルトガル人が鉄砲を持ち込んで以来、 1549年にスペイン人の宣教師フランシスコ・ザビエル (1506〜1552)が来日するなど、スペイン・ポルトガルと日本との 「南蛮貿易」が盛んになり、「東インド会社」の貿易船 リーフデ号の乗員であるイギリス人のウィリアム・アダムズ(三浦按針)、オランダ人のヤンヨーステン・ファン・ローデンスタイン、メルキオール・ファン・サントフォールト らが、「関が原の戦い」(1600年)の半年前に大分県の海岸に漂着して、徳川家康 (1542〜1616)に仕える社会状況にあった。・・・・・  一連の市民革命の歴史潮流に乗って、英国の植民地支配からの独立を宣言した1776年以降の米国は、多種多様な宗教・人種・民族・文化から成る「移民国家」として、また、独立した50州から成る「連合国家」として発展し、世界各国の経済・科学・政治・外交・軍事・教育・文化を先導してきた。 2007年7月4日の独立記念日をもって、建国231年めになる若く新しい国家である。 しかし、その精神文化は、新教のプロテスタンティズムを基礎土台としながら、米国建国以前からユダヤ教タルムードのマモニズム(金権主義)及び旧教のカトリシズムと激しく敵対しつつ錬成されてきた。 従って、紀元前660年の神武建国に始まる世界最古の国家である日本国の精神文化と同等以上に古く、老成しており、極めて精密かつ高度である。


(2) 米国の憲法と法律
 1776年に公布された「独立宣言」をもって、英国の植民地支配から独立した米国は、1787年に制定された合衆国憲法(修正10条−1791年−)の中に、『この憲法によって合衆国に委ねられておらず、また、それによって州に禁じられていない権限は、それぞれの州または人民に留保されている』 と書いてある。 従って、憲法の中に連邦政府の機能として記されていない権限は各州に留保されている。 そして、教育に関する権限は、憲法に規定されていないため、各州に留保されている。 合衆国憲法の中に教育に関する権限が規定されていない理由は、「独立宣言」に至る歴史経緯から『教育は、政府や法律によって規制されてはならない』というワスプ (White Anglo Saxon Plotestantism)のコモン・ロー (伝統・慣習・判例を重視した、成文化されない英米慣習法)が、米国社会の一般的な価値観であるためである。 また、伝統的なユダヤ教を捨て、カトリック教会またはプロテスタント教会のキリスト教徒に改宗したマラノとかメシアニックと呼ばれるユダヤ人も、ワスプと共に米国社会の規範と価値観を形成する上で指導的な役割を果たしたことを忘れるべきではないだろう。 さて、日本国における最高規範は日本国憲法であるが、米国における最高規範はコモン・ローであり、その次が合衆国憲法になる。 このような、日本社会と全く異なる米国社会を理解するため、成文法たる合衆国憲法の規定を事例としてコモン・ローについて知らねばならない。 先ず、米国の司法制度の特徴である陪審裁判におけるコモン・ローを考察しよう。 陪審裁判とは、有罪・無罪の判断に裁判官が加わらず、無作為に抽出された一般人から成る陪審員のみが、原則として全員一致をもって評決を下す裁判制度である。 陪審裁判を受ける権利は、民事裁判のみならず刑事裁判にもおよび、一旦、陪審員が評決したならば、その評決を覆したり変更することはできない。 合衆国憲法(修正7条−1791年−)には、『コモン・ロー上の訴訟において、訴額が20ドルを超えるときは、陪審による裁判を受ける権利が保障されなければならない。陪審によって評決された事実は、コモン・ローの規則によるほか、合衆国のいずれの裁判所においても再審理されることはない』 と規定されている。 この修正7条では、陪審裁判を受ける権利が米国市民(国民)に保障されており、コモン・ロー上の訴訟は裁判所よりもコモン・ローの規則に従って決着されるべきことを規定している。 ところで、日本国の裁判員制度は、国民の中から無作為に抽出された裁判員と、従来の裁判官が多数決によって重大な刑事事件のみに判決を下す、新しい裁判制度であるが、『従来の日本国の裁判制度のように、重大な刑事裁判の判決を裁判官だけに任せない』 という司法改革の方向性(2007年時)は、米国の陪審裁判に一歩だけ近づいた民主的な司法改革であると高く評価できる。 − 裁判員裁判に基づく初の刑事裁判は、2009年8月3日に開かれた。−  次に、司法権の観点からコモン・ローをみると、合衆国憲法(修正11条−1795−)には、『合衆国の司法権は、合衆国の1つの州に対し、他州の市民または外国の市民ないし臣民から提起され、訴追されたコモン・ロー及び衡平法上のいかなる訴訟にも及ぶものと解釈されてはならない』と規定されている。 衡平法とは、コモン・ローの矛盾や欠陥を裁判官の道徳律に従って補正した不成文法であり、英米法におけるコモン・ローと対をなす法概念である。 この修正11条は、「合衆国の司法権は、コモン・ローと平衡法という英米法に特徴的な不成文法と密接な関係を持っている各州の司法問題には及ばない」という意味だ。 このような米国の司法権の性質を別の角度から見た場合、「米国社会の規範に従って、ビジネス等で成功をおさめるためには、憲法などの成文法を熟知しているだけでは不十分であり、コモン・ローと平衡法という英米両国の歴史伝統及び文化慣習に立脚した不成文法にも精通していなければならない」と言えよう。余談になるが、日系一世の弁護士では、このコモン・ローを理解しておらず、米国人からの微妙な言い回しを正しく判断できない場合があり、また、問題解決に役立つ人脈ネットワークが無いという点で、ワスプ・ユダヤの弁護士と比較して、クライアントたる本学の望む結果を出せなかった。 さて、米国社会の規範と価値観に関する説明の最後になるが、日本人には最も理解し難い、米国ならではの「銃器所持の権利」という観点から米国社会を考察してみよう。 合衆国憲法(修正2条−1791年−)には、『規律ある民兵は、自由国家の安全にとって必要であり、人民が武器を保有し、かつ武装する権利は、これを侵害してはならない』と規定されており、この規定に基づき、具体的な銃器の管理規則が、各州ごとに異なって定められている。 かかる合衆国憲法(修正2条−1791年−)により、米国社会全体では1億9200万丁とも推察される個人所有銃器があり、国民の約7割が合法的に銃器を所有している。 米国人は、『自由や安全などの個人の権利は、個人自らが守らなければならない。その努力をしない者は必然的にそれを失う』 という価値観を持っており、自宅の寝室・車内に銃器を常備した日常生活を送っている。 米国の独立戦争(1775〜1783)から西部開拓(1848〜1869−ゴールド・ラッシュの開始から大陸横断鉄道の落成の期間−)の時代を経て、自存自衛の意識が高まると共に、銃器の所持は、個人の権利として確立された。 凶悪事件が起きるたびに『銃器の所持を規制するべきだ』という米国社会の世論が高まるが、北朝鮮の工作員によって日本人数百名が拉致され、送電線などのライフ・ラインを破壊され、オウム真理教事件(1995年)のごとき内乱誘発等の間接侵略を受けても、これらを間接侵略として認識できず、かかる侵略行為と犯罪行為に反撃する気概(意思)と手段(銃器)を持たず、『自己を守る責任は 自己自身にある』 ことを忘れた日本人と比較した場合、米国人の方がはるかに健全な国家・社会・文化の中で暮らしていると言える。 さて、以上のごとく、米国社会の規範と価値観を概観してきたが、コモン・ローこそは、米国の高等教育制度を支えてきた文化的な基盤に他ならない。コモン・ローによれば、『政府や法律は、教育に介入してはならない』 のである。


(3) 米国の連邦政府 教育省
 1980年4月に連邦政府 教育省は設立された。教育省は存在しているが、資金その他の面で高等教育の支援をするだけであり、高等教育の監督官庁の機能を持たない。 この点、日本国の文部科学省が教育行政全般の監督官庁として、「学校教育法」等の法律に基づき一元的に指導監督している教育環境とは、まったく異なる。 米国においては、大学等の高等教育機関を設立・統治・規制する権限と責任は、各州にある。 しかし、各州も、『教育は、政府や法律によって規制されてはならない』を遵守しており、各州は、高等教育機関の設置を認可はするが、高等教育機関の認定をしたり、その高等教育の「質」を「保証」することは絶対にしない。 このため、高等教育機関の認定制度は、民間の非営利組織の認定団体によって自主的に運営されている。 但し、2〜3の州では、コモン・ローに反して高等教育に対する規制を強化する試みがあるが、まったくの空転状態である。 例えば、オレゴン州には、Office of Degree Authorization (ODA)、つまり、「学位権威局」というオレゴン州から委託されたボランティアから成る部署があり、このサイトで米国の諸大学に関する情報を発信しているが、ODAの発信情報の信頼性はゼロである。 なぜなら、ODAの発信情報は、無責任な匿名者のブログと同様に、情報の正確性を維持する法令及び規則等のガイドラインがなく、匿名者のブログ同然の主観的な情報発信であろうが、まったく自由に行えるからだ。 従って、ODAは、発信情報の事実を証明する客観的な証拠を必要とせず、虚偽情報を発信しても何らの法的責任を取らされることもない。 かかるODAの運営実態は、写真画像に関する著作権の取り扱いが、米国と日本国で異なっているケースと類似する。そして、本学は、ODAに不信感を抱きつつ、その運営実態に関する質問をした。 つまり、『ODAは、どのような手段によって、発信情報の正確性を保つように工夫していますか?』 『誰がODAの責任者でしょうか?』 『ODAの情報収集方法と情報分析方法は、出鱈目と判断せざるを得ません。ODAの運営実態は、個人が好き勝手なことを発信しているブログと同じではありませんか?』 という質問であるが、ODAは、これすらも回答できない無責任な情報管理体制にあり、法的責任の追及を恐れて回答できずに逃げまわった。 ODAの有様は、米国の社会常識からしても、無責任を通り越して違法であるため、本学は、『ODA.の情報管理体制を見直して改善するべきだ』 という要望書を出したことがある。 ODAのごとき、オレゴン州から委託された無責任かつ違法なボランティア組織との遭遇に関しては、『玉石混交の移民国家の米国に見られる法秩序の混乱の一端』 という社会認識を抱き、逃げ回るだけのODAを哀れんだ。 なお、カリフォルニア州では、1990年代後半、州当局者が大学の認定事業を州で実施しようとしたが、『コモン・ローと合衆国憲法に違反している』 という連邦政府・教育省からの命令指示によって、その試みは挫折した。 米国の歴史伝統とコモン・ローを理解していない、スペイン語を母語とする中南米系のヒスパニック、ヨーロッパのラテン系とスラブ系、アジア的な専制独裁体制に従順な東南アジア系の移民が急増した州においては、高等教育機関とその教育プログラムを管理・統制しようとする政治的な動きが時々見られるが、自由主義に基づく 学問の自由・ 大学の自治・ 教育不介入原則 といった米国社会のコモン・ローは、今後も不変である。 合衆国憲法を起草した建国者たちは、過去・現在・未来という歴史を貫く不変の真理であるコモン・ローの体現者であり、コモン・ローに基づく司法制度・教育制度・統治制度を創造的に整備した業績により、自己の名声を不朽のものにした。



(4) 米国の高等教育機関に関する認定制度
 認定団体数は、全米に400団体以上ある。最も有名な認定団体の連合組織の一つに、高等教育認定評議会(CHEA)がある。 このCHEAが認定している認定団体数は60団体以上ある。 また、CHEAは、大学の認定事業もしており、認定している大学数は3000校以上ある。 一度認定を受けても、数年ごとに認定更新の手続きと調査が行われ、更新をしない場合や認定の基準を満たしていない場合には、非認定団体・非認定大学とされる。 この認定制度は、あくまでも任意団体による認定であり、法律的な定めではないため、認定を受けていない大学もあれば、認定を必要としない大学もある。 そして、非認定大学であっても、州法に従って合法的に運営されている限り、教育評価をおこない、学位を授与できる。 さて、俗に言うディグリーミル(学位工場)とは、(1)大学名・氏名・学位を捏造・偽造してある学位記を発行すること。 (2)医療分野の研究と無関係な人物に医学博士号を授与すること。 (3)無審査・無評価で学位記を発行すること。 (4)年間数万人規模の不特定多数に学位記を乱発すること。 (5)法律に違反している学位記を発行すること。 以上であって、米国では、法律上のディグリーミルの定義すらない。 米国のコモン・ローを理解していない日本の共産主義者・学歴差別主義者・政府統制学歴論者が、『米国の非認定大学は、ディグリーミルである。』といった誤情報を流し、『大学などの高等教育も、小学校などの初等教育(義務教育)と同様に、政府が管理・統制・支配するべきである。』 と主張し、人間を家畜同然に管理・統制・支配する共産主義社会の実現を目指して熱心に虚偽宣伝を行っているようだ。 つまり、共産主義者・学歴差別主義者・政府統制学歴論者は、人間の精神活動の自由及び崇高性を否定し、人間を家畜同然に管理・統制・支配しようとする価値観において同根なのである。 これらの論者は、基本的人権のひとつである自由権を世界の諸国民から剥奪しようと画策しているため警戒せねばならない。 共産主義者の唯物論などの虚偽理論から繰り出される「妄想」には、とても迷惑しており、つきあいきれない。 なお、米国の国務省及び教育省のサイトを読めばわかるように、高等教育機関の認定・ 非認定を絶対視しておらず、コモン・ローの『教育は、政府や法律によって規制されてはならない』 という米国建国以来の文化的価値観は不変である。


(5) グローバル・スタンダードとしての米国の高等教育機関
 米国の「独立宣言」にみる建国精神は、政府や法律や業界団体の認定に頼るのではなく、自主的に学び、自己の目指す目標へ到達する意志と能力を尊重するものだ。 米国の建国精神が、今日までの「アメリカン・ドリーム」(チャレンジにより夢を叶える国)と「フロンティア・スピリッツ」(開拓者精神の国)という言葉で表現される、米国の繁栄をもたらした教育基盤に他ならない。 だから、日本人は、外国人に対して、『日本人のことをどう思いますか?』 という質問をよくするが、他人の顔色を伺うことよりも自立的な判断力を重視する米国人であれば絶対に口にしない質問である。 また、グローバル化した国際競争時代においては、政府権力を頼り、法律の未整備を嘆き、業界団体の認定を得てから何かをしようとすること、即ち、政府や法律や業界団体の認定に従属しようとする姿勢は、既に自己の存在意義とチャンスを見失っている人、羅針盤を失った船舶にいる漂流者、新しい未知の世界へ踏み出す勇気のない臆病者 の証となる。 今後の日本人は、米国人の開拓者精神や自立性尊重などの見習うべき文化的価値観を取り入れ、政府権力や法律や業界団体の 認定に頼ることなく、自主的に学び、『自分がどういう人物であり、何をしたいのか』をアピールして、グローバル化した国際社会に適応できる、自立した社会人に ならなくてはならない。  米国は、多様な宗教・人種・民族・文化の混在する「移民国家」であり、独立した各州から成る「連合国家」であるが、その根底に流れるコモン・ローは、プロテスタンティズムの精神である。 米国の高等教育機関が世界中の人々に教えてきた、プロテスタンティズムを土台とする自由・独立・チャレンジの追求こそが、世界各国の若者たちの心を魅了してきたと考えられる。 但し、プロテスタンティズムと言えども、深い宗教的な意味においては不完全であり、間違いが散見されるため、『現時点においては、他の文化的価値観よりも評価できる』 という意味合に留まる。 結論として言えることは、米国の高等教育機関の歩んできた自由・独立・チャレンジの精神を尊重した歴史上の足跡こそが、多様な宗教・人種・民族・文化から成る世界各国の高等教育機関の「グローバル・スタンダード」たりうる理由である。


(6) 米国の私立大学と公立大学
 米国の大学を私立大学と公立大学(州立大学)に分け、これらの法的地位を概観すると、次のようになる。

A. 米国の私立大学の法的地位
米国の私立大学の法人格には、非営利教育法人のほか、宗教法人・財団法人・株式会社がある。 ハーバード大学は、米国最古の私立大学であり、英国の植民地時代である1636年に現在のマサチューセッツ州に創立された。 最大の出資者である牧師のジョン・ハーバードの名前を冠した名門大学であり、その法人格は非営利教育法人である。 独立宣言に至る歴史経緯から、『教育は、政府や法律によって規制されてはならない』というコモン・ローを直接的に受け継いだハーバード大学を筆頭として、高等教育への政府の干渉を排除し、大学の自治独立と学問の自由を確立した多種多様な私立大学が今日まで米国内で発展してきた。 1999年にハワイ州に設立されたIOND University も、米国の自由と独立の精神を尊重する高等教育機関の一つであり、米国にみられる多くの大学のように非営利の教育法人である。 また、連邦政府及びハワイ州政府国税庁から永久免税特権が付与されている。 IOND University の特徴は、米国のノントラディショナル・エデュケーション(旧権威を刷新する非伝統的教育)の流れを汲んだ、国際的なシンクタンク型の大学にある。 旧権威にとらわれない教育評価と、革新的な発想に基づいた産学協同事業を推進することによって、人々の多様なニーズを満たしつつ、社会貢献と社会改革を実践している。 特に、『新しい民主主義社会を創造する』ことを、2010年7月4日の本学総会において議決して以来、本学は、公共政策に関するシンクタンク機能に重点を置き、政策提言等の政治活動も行っている。

B. 米国の州立大学の法的地位
(A) 州政府機関 (Agencies)としての州立大学は、法人格がなく、州政府直属の教育機関として機能している。 
(B)公法人 (Public corporation)としての州立大学は、州法により法人格が付与されており、州議会に従属している。
(C)州憲法上、独立した法人 (Constitutionally independent corporation)としての州立大学は、州法により司法・立法・行政の三権からの干渉を排除しうる法人として、独立した地位を保証されている。

米国の公立大学と言えば州立大学になり、国立大学はない。この州立大学の法的地位には上記の3種類があるが、この3種類は、州立大学の統治機関である理事会の法的地位に過ぎない。 理事会は、学外者から成り、州知事・州議会によって任命された者や、州政府の職員から構成されている。学長以下の教授会(Faculty)は、被雇用者であり、理事会に従属している。 この運営管理方式は、元来、植民地時代の私立大学で発展したものであり、州立大学においても、この運営管理方式が採用されて今日に至っている。 一般的に州立大学の財源(歳入)の35%〜70%は州政府と連邦政府からの支援金である。 金額にすると400億円〜800億円になる。 州政府からの支援金が少ない州立大学に対しては、連邦政府が、その分を補うようになっている。 また、5%〜15%は私的団体からの寄付金であり、授業料と事業収益を合わせても25%〜30%にしかならない。 このような州立大学は、納税者(有権者)によって支えられているため、州政府や州議会を通して表明される納税者(有権者)の要求に応じた役割を果たさざるを得ない。 そのため、公共の福祉としての高等教育を担っている。 一方、私立大学は、まったく政府の制約を受けないでいる。 米国最古の私立ハーバード大学の財源を見てみると、1974年に設立された非営利投資法人Harvard Management Company が寄付金等を原資とする3兆円を資金運用し、2007年時点では年率21%の運用利益を出している。この運用利益だけで、学生たちから授業料を徴収せずとも十分すぎる歳入状況となっている。


(7) 米国のエリート教育(指導者養成教育)
 米国のエリート教育(指導者養成教育)は、義務教育の段階から始まる。 さらに、米国の建国に功労のあった、一定の財閥の血族として生まれない限り、米国の真のエリート(指導者層)たりえない現状にある。 例えば、米国の真のエリート(指導者層)たるには、一般の中学校 Public School とは完全に隔絶した、中高一貫教育をおこなう全寮制の、米国東部海岸地域に点在する名門私立の中学・高校 Boarding School / Preparatory School に入学しなければならない。 この時点で、志願者(生徒)の血族関係・家庭の資産状況・入学のモチベーションなどがチェックされるため、米国の発展に多大なる功労があった名家の子弟でない限り、かなり裕福な資産家の子弟(生徒)であっても入学できない仕組みになっている。  この6年間でおこなわれる中等教育は、単なる知識・技能の授受ではなく、米国の将来を担う指導者にふさわしい高度なコモン・ロー思想、即ち、米国建国精神・ルール・マナー・仲間との団結心の涵養に重点が置かれている。 このような私立の中学・高校 Boarding School / Preparatory School を卒業した生徒は、決まって、米国の東北部にあるアイビーリーグと呼ばれる8つの名門私立大学に進学する。 すなわち、Harvard, Yale, Pennsylvania, Princeton, Columbia,Brown, Dartmouth, Cornel の各大学である。 アイビーリーグとは、アメリカン・フットボールの大学競技連盟のことであるが、「INTER-VARSITY」(レギュラー仲間)という言葉の簡略形「I-V-Y」が、1930年代に「IVY」(つた)として誤って新聞報道されて以来、8つの名門私立大学の総称になったという。 米国のエリート層を指して、「東部エスタブリッシュメント」と表現する由来は、ここにある。 アイビーリーグへ進学した学生は、米国の「体制」(国家体制)の先行指導者の推薦を得た特待生から構成される、一般非公開の「クラブ」、即ち、会員制の「秘密社交会」に所属することになる。 この段階も、Boarding School / Preparatory School で培った人脈との交流を保ちつつ、古代ギリシア帝国・ローマ帝国の時代へ遡る歴史・思想・科学のエッセンスを与えられ、米国の「体制」 に対する深い理解力と強固な忠誠心を涵養していく。 こうして、アイビーリーグ各大学の各専攻及び各「クラブ」を修了した暁には、(A) 大企業幹部  (B) 政府中枢部  (C) 大学  (D) 軍情報機関へと就職していき、そこで、米国の指導者としての本当の力量が試されるようになる。 米国の官僚制度(公務員制度)は、猟官制に基づく 「リボルピング・ドア」(回転ドア)となっており、政権交代に応じて政府中枢部が完全に入れ替わり、また、(A)〜(D)の相互を自由に転職・転属できるため、Boarding School / Preparatory School 及びアイビーリーグの各「クラブ」で培った、親しい顔見知りだけで構成される「見えざるエリート層」が、米国を指導する仕組みになっている。 そして、この「見えざるエリート層」は、最終的には一定の血族によって束ねられているため、たとえ、政権交代が起きようとも、米国の国家戦略と、その根底に流れる思想には長期的な一貫性がある。 なお、「見えざるエリート層」に登用され、命令指示を受けている上級ワーカーは、米国の指導者層には入れない。 これも、Boarding School / Preparatory School 及びアイビーリーグの各「クラブ」で涵養された「見えざるエリート層」の守るべきルールの一つだ。 また、大多数の米国民は、一般ワーカーとして、その一生を送ることになるが、これが、良くも悪くも、米国の「体制」の実情だ。 だから、「見えざるエリート層」が、米国全体のことを斟酌できない利己主義に陥った場合、貧富の格差が拡大し続け、暴動と凶悪犯罪が頻発する荒んだ社会になるだろう。 一方、アイビーリーグの対極に位置する州立大学は、一般ワーカー以下の庶民と米国永住権の取得を希望する外国人のための、公共の福祉を目的とした大学として機能している。 例えば、州立のカリフォルニア大学UCLAなどへ、日本国から留学したとしても、一般ワーカーの留学体験にとどまり、留学結果からすれば、語学力が身についたり、CPA等の専門資格の取得をするに留まる。 それに、米国人と結婚でもしない限り、米国籍である市民権 Citizenship を得ることは極めて困難であり、日本人に限らず、米国への移民一世が、米国の「体制」の指導者層に参画することは不可能に近い。 従って、貴重な留学体験やビジネス体験をした日本人は、米国などの海外移住を目指すよりも、日本社会の中で日本国のために貴重な体験を活用すべきだろう。 このように、米国型民主主義社会の排他性と、アメ リカン・ドリームの凋落について、冷徹に正しく語っておくことも必要だろう。 さて、カーネギー財団による2005年版 「 The Carnegie Classification of Institutions of Higher Education 」 を参照しても、専門学校・短大・新設大学などが大学数に含まれておらず、米国全体で、一体どれだけの大学があるのか把握できないが、米国50州の各州ごとに 100校の大学があると仮定して、米国全体では、少なくとも5000校以上の大学が存在する計算になる。 そして、米国を動かすエリート教育(指導者養成教育)という観点からすれば、『アイビーリーグ以外の米国大学は、どれも同じである』と言っても過言ではない。


(8) IOND University の役割
 日本国とは全く異なる高等教育制度と文化的価値観の下で運営されている米国大学は、1776年の「独立宣言」の建国精神を現在まで継承する自治組織であり、高い独立性と自由を享受している。  そして、本学は、政府や法律や業界団体の認定に依存することなく、自主的に学び、自己の目標を達成しようとチャレンジする自立した社会人の養成と支援を行う、自由・自治・独立を教育理念とした高等教育機関である。 米国ハワイ州にある非営利教育法人IOND University と、国際間の業務提携契約を締結している日本校は、日本の文部科学省の所管する大学ではないため、社団等の法人格で運営されている。 本学の教員数は312名であり、日本国を含む世界各国の社会人(学生・研究生)は毎月ごとに入学と卒業をしており、単科履修者及び人物顕彰者を含めた学部・大学院の課程修了者の総数は1000名以上におよんでいる。 本学の課程終了後、日本国及び海外諸国の大学院に進学した者、民間企業に就職・転職した者、大学等の教育機関における教育研究に従事した者など、その活躍の分野は非常に多岐にわたり、本学との相互扶助の協力関係を保ち続けている。 さて、ヒト・モノ・カネ・情報の流れがグローバル化した国際社会は、世界各国の制度と制度、法律と法律、価値観と価値観が激突する社会であるが、本学を含む世界各国の多様な高等教育機関の学位称号の通用性と価値は、各大学や各企業が決めてきたことであり、法律や政府や業界団体の認定によって決めることは、自由資本主義に基づく日米両国では不可能である。なおまた、決めようとすることは不可能である。 これは、従来からそうであったが、ますます、この傾向が顕著になりつつある。 目的意識や使命感を持って学んでいる個人こそが、学位称号の価値を決める。 人間の精神的活動と、その価値は、法律や政府から制限されてはならず、制限することは共産主義社会以外においては不可能だ。 そして、グローバル化した日本社会の中において、本学が果たすべき役割は、米国のように多種多様な高等教機関が存在でき、多元的な価値観が共存共栄できる、より自由で豊かで安全な日本社会を構築することである。 さらには、単なる軍事同盟を指す「日米安保体制」とは異なる、教育・文化・経済面をも含めた幅広い緊密な日米関係を指す「日米同盟」を強化することである。 過去の日米関係を概観した場合、東洋文明の頂点に立つ日本と、西洋文明の頂点に立つ米国が、第二次世界大戦(大東亜戦争)において激突した歴史を忘れることはできない。 それは、世界史上、最も大規模で最も悲惨な戦争であったが、21世紀初頭の現在に至り、正しい歴史認識が確立されつつある。 終戦後62年目となる2007年現在の日米両国は、お互いの歴史・文化・技術力などを、詳しく相互理解し合っており、世界各国の人々の明るい未来を創造していく上で、あらゆる分野における「日米同盟」が有効に作用するだろう。 今後とも、現代史の真実に立脚した、希望の光を万民にもたらす緊密な「日米同盟」を築くことが重要である。 このように考える本学は、英国の政治家 フランシス・ベーコン(1561〜1626)の言う 『知は力なり』に一抹の真理があることを認め、「学問の力」を駆使しながら、日本国家の再建を果たす諸政策を推進してきた。そして、多くの日本国民が、グローバル化した激動の国際社会の中で、歴史的真実と正義に立脚しながら、より自由で豊かで安全な未来社会を築けるよう、教導している。 具体的には、基本的人権の尊重された自由主義社会及び各民族の伝統文化を守るため、中国共産党(中国)及び朝鮮労働党(北朝鮮)並びに反日の韓国による間接侵略の阻止、日本国内の自治労(全日本自治団体労働組合83万人)と日教組(日本教職員組合25万人)を含む「官公労」 即ち、官公庁にある労働組合から成る行政利権同盟400万人にみられる共産主義者による文部科学省等の行政機関の政策決定への関与の糾弾、教育現場における共産主義思想の普及宣伝行為の告発、共産主義者による贈収賄・脅迫・背任・業務妨害・職権乱用などの犯罪行為の弾劾、オウム真理教事件(1995年)のごとき内乱誘発を含む謀略活動の阻止、日本国の核武装及び憲法改正の推進、反共法・スパイ防止法・捏造報道規制法など今後の日本国に不可欠な法律の制定推進を行なっている。 本学における学問とは、理論的に体系化された知識と方法論を指す。 学問の目的は、真理を明らかにすることであり、そのあり方は、選別された社会的エリートによって独占的に管理されてはならず、大衆救済に私心なく役立てねばならない。 ちなみに、人間が真理を認識する方式、即ち、真理が成立する方式には3つある。 (1)真理を認識する知性としての観念と実在とが一致したとき-一致理論-  (2)観念が観念体系の中において論理的に一貫した整合性をもつとき-整合理論-  (3)仮説が事実によって検証されたとき-プラグマティズム-である。 本学の責務は、学問を極め、真理をつかみ、人々の救済に私心なく行動する逸材を一人でも多く輩出することである。



2.日米関係を含む現代史に関する重要な認識

  「教育方針」の中に示されている歴史認識 http://www.iond-univ.org/about/policy.html



< 参考サイト >

駐日米国大使館・国務省 「米国の大学教育について」( 発 信 終 了 )
ViewonUSHigherEducation.files\wwwf-ejournal-j-edu2005a.pdf

任意団体・日米教育委員会「米国留学の基礎知識」 (日本語サイト)
http://www.fulbright.jp/study/res/t1-college04.html

連邦政府・教育省「公式サイト」(英語サイト) 日本の文部科学省と違い、教育には介入しない。
http://www.ed.gov/

連邦政府・国務省「公式サイト」(英語サイト) 日本の外務省に相当する政府機関である。
http://www.state.gov/

連邦政府・国防総省「公式サイト」(英語サイト) 日本の防衛省とは密接な協力関係にある。
http://www.defenselin.mil/



  ( 「米国の高等教育制度」 評議運営委員会 再議決 2011年11月29日付 )